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弁護士・木村哲也
代表弁護士

主な取扱い分野は、労務問題(企業側)、契約書、債権回収、損害賠償、ネット誹謗中傷・風評被害対策・削除、クレーム対応、その他企業法務全般です。八戸市・青森市など青森県内全域の企業・法人様からのご相談・ご依頼への対応実績が多数ございます。

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1 はじめに

労務問題の類型として、企業が従業員(あるいは元従業員)から残業代・賃金・退職金の請求を受けるというものがあります。
そして、示談・和解・調停や判決・審判により、企業が支払義務を負うこととなるケースも少なくありません。

このような場合の税務上の問題点として、企業が支払うこととなった残業代・賃金・退職金について源泉徴収を行う必要があるか?という問題があります。
以下では、このような問題について、事後的なトラブルの予防の観点から、解説させていただきます。

なお、解雇・退職勧奨などの事案において、企業が従業員に対し、解決にあたり金銭を支払うこととなった場合の税務上の問題点についても、本コラムをご覧ください。

2 残業代・賃金・退職金と源泉徴収義務

まずは、残業代・賃金・退職金の支払における源泉徴収義務について、ご説明いたします。

源泉徴収義務とは、企業が従業員の給与等を支払う際に支払額から所得税を天引きし、企業が従業員に代わって所得税を納税する義務のことです。
残業代・賃金は給与所得、退職金は退職所得に該当するため、法律上、企業には源泉徴収義務があるとされています。
なお、企業は、源泉徴収した所得税を、原則として、給与等を実際に支払った月の翌月10日までに納税しなければなりません(従業員が常時10人未満の企業は、半年ごとにまとめて納税できる特例があります)。

そして、企業が源泉徴収をせずに残業代・賃金・退職金を支払った場合、企業は税務当局から源泉徴収税の支払を求められることとなります。
この時、企業が税務当局に対して「源泉所得税分も支払ってしまったから、従業員に対して支払を求めてくれ」と反論することはできません。
企業としては、税務当局に対して一旦源泉所得税を支払ったあと、従業員に対して源泉所得税分の返還を求める(求償する)対応(所得税法222条)をとらなければならないのです。
この場合、従業員が費消済みなど無資力であれば、回収が困難になるというリスクがあります。

また、所得税の源泉徴収だけではなく、社会保険料の控除についても、同じような問題が生じます。

3 解決金・示談金・和解金などの名目による支払と源泉徴収義務

(1)源泉徴収義務の有無は名目ではなく実態で決まる

残業代・賃金・退職金をめぐる紛争事案(示談交渉、民事訴訟、労働審判など)では、企業が従業員に対して解決金・示談金・和解金などの名目で金銭を支払う条件で合意し、解決が図られる例が多く見られます。

この場合、支払名目が残業代・賃金・退職金ではなく解決金・示談金・和解金であるからといって、企業が源泉徴収義務を負わないということにはなりません。
源泉徴収義務の有無は、支払の名目で決まるのではなく、実態に沿って判断されることとなります。

支払の実態が残業代・賃金であれば給与所得であるとみなされ、支払の実態が退職金であれば退職所得であるとみなされるため、支払の名目いかんにかかわらず、企業は源泉徴収義務を負うこととなるのです。

(2)労務問題の類型別に見る源泉徴収義務

労務問題の類型別に見ると、残業代請求の事案では、実態が残業代に該当するものであれば、名目が解決金などであっても給与所得とみなされ、企業は源泉徴収義務を負うと考えられます。
一方で、実態が遅延損害金または付加金に該当する部分については、企業は源泉徴収義務を負わないと考えられます。
遅延損害金および付加金は、非課税であるためです。

また、解雇・退職勧奨などの事案では、バックペイ(解雇日から解決日までの賃金相当額)に該当するものであれば、名目が解決金などであっても給与所得とみなされ、企業は源泉徴収義務を負うと考えられます。
合意退職に伴う金銭の支払については、名目が解決金などであっても退職所得とみなされ、企業は源泉徴収義務を負うと考えられます。

なお、ハラスメントなどによる損害賠償や慰謝料請求の事案では、解決金などの名目による支払について、企業は源泉徴収義務を負わないと考えられます。
損害賠償金や慰謝料は、非課税であるためです。

(3)事後的なトラブルのリスク

ここで、例えば、残業代請求の事案において、「企業は、従業員に対し、解決金として300万円を支払う」という条項を定めて示談・民事訴訟における和解・労働審判における調停で合意をしたのに対し、企業が当該300万円から源泉徴収を行ったうえで従業員に対して残額の支払をしたとします。

この場合、従業員は、「300万円全額を支払うべきだ」と主張し、企業に対して民事訴訟を提起してきたり、企業の財産を差し押さえてきたりするというトラブルが発生する可能性があります。

一方で、示談・民事訴訟における和解・労働審判における調停では、紛争の終局的な解決を図るため、「企業と従業員は、本件に関し、企業と従業員との間には、何らの債権債務のないことを相互に確認する」という清算条項を設けて合意するのが通常です。
そして、企業が従業員に対して300万円全額を支払ったあと、税務当局から源泉徴収税の納付を求められたため、企業が当該納付に応じたとします。

この場合、企業が従業員に対して源泉徴収税分の返還を求めたとしても、従業員が上記の清算条項を盾に返還を拒否するというトラブルが発生するであろうことは、容易に想定されます。

企業としては、こうした事後的なトラブルを予防するための対処を考えなければなりません。
また、前述のとおり、所得税の源泉徴収だけではなく、社会保険料の控除についても、同じような問題が生じます。

4 事後的なトラブルを予防するための対処法

前述のような事後的なトラブルを予防するためには、示談・民事訴訟での和解、労働審判での調停において、源泉徴収を行うことを明示した条項を定めることが重要となります。
また、税務当局から後日指摘を受ける可能性も考慮し、「残業代」「賃金」「退職金」「遅延損害金」などの実態および内訳を明示するとよいでしょう。

【条項例】
第1条
会社は、従業員に対し、本件解決金として〇〇〇万〇〇〇〇円(ただし、未払割増賃金●●●万●●●●円及び遅延損害金▲▲万▲▲▲▲円)の支払義務があることを認める。
第2条
会社は、前項の解決金から所得税源泉徴収及び社会保険料を控除した残金■■■万■■■■円を、××××年××月××日限り、従業員が指定する預金口座に振り込む方法により支払う。ただし、振込手数料は会社の負担とする。
第3条
(以下略)

上記のような取り決めをしたうえで支払を履行すれば、事後的なトラブルの発生を防ぐことができるでしょう。

もっとも、従業員側から「上記のような条項を定めよう」という提示がなされることはまず期待できませんし、裁判官としても源泉徴収を行うことを明示するかどうかは基本的に当事者次第という立場です。
そのため、企業側の弁護士において、条項案を提示するなど積極的に働きかけていく必要があります。
ただし、源泉徴収の話を合意に至る最終局面で唐突に持ち出すとこじれるおそれもあるため、可能な限り話し合いの中盤頃までには話題に出しておくことが望ましいと言えます。

そして、控除する金額の計算については、企業の顧問税理士などとも連携し、過誤が発生しないように注意しなければなりません。

なお、事案によっては、企業が源泉徴収分を自己負担(二重払い)するリスクを覚悟のうえで、あえて源泉徴収を行うことを明示した条項を定めることをしないという処理も考えられるでしょう(例えば、支払額が少額であり、源泉徴収に関する従業員との合意形成が難航する一方で、早期解決を希望する場合など)。

5 源泉徴収について明示せずに合意した場合

(1)想定される事後的なトラブル

「企業は、従業員に対し、解決金(あるいは示談金・和解金)として〇〇〇万円を支払う」という条項を定め、源泉徴収について明示せずに支払合意をしたあと(このような事態は、源泉徴収のことを失念したまま合意に至った場合などに起こり得ます)、企業が一方的に源泉徴収をし、従業員に対して源泉徴収後の残額を支払った場合、どのようなトラブルの発生が想定されるでしょうか?

この点、示談で合意した場合であれば、従業員が企業に対して源泉徴収分の支払を求める民事訴訟を提起するなどしてくることが考えられます。
また、民事訴訟における和解・労働審判における調停で合意した場合であれば、従業員が企業の財産を差し押さえてくることが考えられます。

企業としては、民事訴訟などにおいて源泉徴収の正当性を主張し、あるいは差押えに対する請求異議訴訟(差押えを許さないことを求める民事訴訟。差押えの手続を止めるためには強制執行停止の申立ても同時に必要。強制執行停止の申立てとは、請求異議訴訟が決着するまでの期間中、差押えの手続を停止することを目的とする申立て)を提起して争っていくこと(あるいは、和解・調停後、差押えが行われる前に請求異議訴訟を提起すること。請求異議訴訟は、差押えが行われる前に提起することも可能。また、強制執行停止の申立ても同時に行うこと。差押えが申し立てられることによる混乱を避けるため、事案により、差押えに先回りして請求異議訴訟の提起と強制執行停止の申立てを行うことも有力な選択肢)が考えられますが、企業側の主張は通るのでしょうか?

この問題については、以下で2つの裁判例をご紹介いたします。

(2)裁判例の検討

【裁判例①:長崎地方裁判所平成30年6月8日判決】
事業者が従業員を解雇したところ、従業員が不当解雇を主張し、従業員としての地位確認と解雇時以降の賃金の支払等を求める民事訴訟を提起しました。
この民事訴訟では和解が成立し、解雇が無効であること、合意退職扱いとすること、事業者が従業員に対して解決金として150万円を支払うこと、当事者間には和解条項に定める以外の債権債務がないこと、などが取り決められました。
その後、事業者が当該解決金の性質が退職所得に該当すると判断し、従業員に対して源泉徴収後の残額を支払ったところ、従業員が源泉徴収分を回収するべく事業者の財産を差し押さえました。
これに対し、事業者は差押えの不許(差押えを許さないこと)を求める請求異議訴訟を提起しましたが、裁判所は当該解決金の性質が退職金であるとは断定できないと判示し、差押えの不許を認めませんでした。

【裁判例②:旭川地方裁判所令和4年7月8日判決】
従業員が企業に対し、残業代900万円余りとこれに対する遅延損害金、および付加金900万円余りとこれに対する遅延損害金の各支払を求める民事訴訟を提起しました。
この民事訴訟では和解が成立し、企業が従業員に対して解決金として350万円を支払うことなどが取り決められました。
その後、企業が従業員に対し、当該解決金から源泉徴収後の残額を支払ったうえ、差押えの不許を求める請求異議訴訟を提起しました。
これに対し、裁判所は、当該解決金の性質が残業代に当たると判示し、差押えの不許を認めました。
従業員は「解決金は源泉徴収後の残額として合意したものである」とも主張しましたが、裁判所は「解決金が源泉徴収前の金額か源泉徴収後の残額かについて明示されていないところ、源泉徴収前の金額を定めなければ源泉徴収後の残額も定まらないことなどからすれば、解決金は源泉徴収前の金額であると解するのが相当である」(要旨)と認めました。
そのうえで、裁判所は、企業が源泉徴収後の残額を支払ったから、民事訴訟における和解で取り決めた解決金は全額支払い済みであると判示しました。

上記の2つの裁判例で結論が異なっているのは、【裁判例①】が解雇をめぐる事案であるところ、解決金の性質についてバックペイ、退職所得、慰謝料など複数の解釈が成り立ち得ること、【裁判例②】が残業代請求の事案であるところ、解決金の性質について残業代以外の解釈が成り立ち得ないこと、という大きな違いがあることが理由であると考えることができます。

上記の裁判例の考え方を踏まえると、解決金(あるいは示談金・和解金)の性質が事案の内容や交渉の経過などにより給与所得や退職所得であると断定できるのであれば、仮に事後的なトラブルが発生した場合であっても、企業は源泉徴収分の追加支払や企業の財産の差押えを阻止できると考えられるでしょう。

ただし、示談・民事訴訟における和解・労働審判における調停により合意が図られたにもかかわらず、事後的なトラブルに巻き込まれること自体が、企業にとって大きなコストとなります。
やはり前述のように「源泉徴収を行うことを明示した条項を定める」という対処をとることが重要です。

(3)事後的なトラブルに敗れることへの備え

なお、万が一、このような事後的なトラブルが発生したうえ、企業が敗訴して源泉徴収分の追加支払や企業の財産の差押えを許すこととなった場合、企業は税務当局(国)および従業員に対して源泉徴収分を二重払いする事態となってしまいます。
この場合、企業は国に対して源泉徴収分の返還(還付)を求めることになりますが、源泉徴収分の取り扱いをめぐる従業員との民事訴訟あるいは請求異議訴訟において、国に対する「訴訟告知」という手続を行うことが推奨されます。

民事訴訟あるいは請求異議訴訟の効力は、原則として訴訟当事者以外の第三者には及びません。
その結果、企業が国に対して源泉徴収分の返還を求めても、国が「判決の内容が不当であり、国としては認めない」「企業と従業員との民事訴訟の結果は、国には関係がない」と主張すれば円滑な返還を受けられず、企業があくまで返還を求めるのであれば、国との間で民事訴訟をしなければならなくなります。

これに対し、国に対する「訴訟告知」の手続をとっておけば、従業員との民事訴訟あるいは請求異議訴訟の効力を国に対して及ぼすことができますので、その結果、国から円滑に源泉徴収分の返還を受けることに繋がると考えられます。

6 判決・審判により支払う場合

民事訴訟・労働審判では、和解・調停により合意して解決となることが多いのですが、合意がまとまらずに裁判所が判決・審判を下す場合もあります。
裁判所が判決・審判により企業に対して支払を命じる場合には、源泉徴収義務について考慮しない金額が示されます。

判決・審判による支払であっても、給与所得・退職所得に該当する支払である場合には、企業は源泉徴収義務を負うこととなります。
そのため、企業は、従業員に対し、判決・審判により支払を命じられた金額から源泉徴収後の残額を支払うという対応をとるべきでしょう。

判決・審判に基づく企業の財産の差押えが実行された場合には、企業としては差押えによる回収がなされたあと、従業員に対して源泉徴収分の返還を請求していくほかないと考えられます(最高裁判所平成23年3月22日判決では、企業が差押えにより賃金の回収を受ける場合であっても、源泉徴収義務を負うことが明示されています)。

従業員による企業の財産の差押えは突然行われることもあるため、事案により、判決・審判後、差押えが行われる前に請求異議訴訟を提起する(強制執行停止の申立ても同時に行う)という対応も有力な選択肢となります。

7 まとめ

以上のように、従業員との労務問題において源泉徴収義務のことを失念したまま処理を進めると、思わぬリスクやトラブルに巻き込まれることがあります。
労務問題に詳しい弁護士のサポートのもとに、慎重に紛争解決に向けて進めていくことが大切です。

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記事作成弁護士:木村哲也
記事更新日:2026年6月17日

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